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Tsumamizaiku Kitoriya : Profile

入院中に切り絵の楽しさを知る。

私は平成25年に鬱病を発症し、3ヶ月間急性期病棟に入院しました。入院中に楽しんだことは、家族の差し入れてくれた塗り絵や折り紙・絵本など。
入院の後半は作業療法も開始になりました。そこで取り組んだのは切り絵。 切り絵用の細いカッターで切り抜き、色紙を裏から貼っていきます。
もともと単純な細かい作業に熱中するのが大好きだったので、楽しくて仕方なく、どんどん難易度をあげて作っていきました。
病棟では刃物を使えないので、折り紙をちぎってちぎり絵を楽しみました。
ちょうど2月でお雛様の切り絵をして、綺麗な千代紙を買ってきてもらい、 出来上がった時はすごく嬉しかったです。

退院後、つまみ細工と出会う。

平成26年2月末に退院し、自宅療養が始まり最初は調子が良かったものの、徐々にペースを崩し、主治医から通院での作業療法を勧められました。
そこで、何をしようかと思い、手芸店で見つけたのが「つまみ細工のお花のブローチ」のキット。 基本の丸つまみと剣つまみの花の2種類のブローチ。今見返すと恐ろしく下手くそに仕上がっているのですが、 やはり単純作業・・・とても楽しくなりました。
ちょうどその時、娘の成人式の前撮りを控えていました。いい気になった私は「よし!髪飾りを作ろう」と本屋に行き「つまみ細工の本」を、また手芸店で「手芸用のちりめん」を購入し、作業療法の時間に、せっせと作り始めました。

娘の髪飾りを自作する。

しかし、前撮りに間に合わない・・・とパニックに! 当たり前です。初心者が自己流で大作に挑んでいるのですから。
運よく前撮りの日が延期になり、なんとか無事に髪飾りも間に合いました。
成人式の日、髪飾りをつけた長女は 「お母さんの作ってくれた髪飾りだよって、みんなに自慢してくるね」 と嬉しそうに式場に向かいました。今でも、昨日の出来事のように思い出します。
それからは、本を見て、コサージュや七五三の髪飾り、ネックレスなど色々なものを作りました。
そして次は、次女の成人式です。もともと派手なものを好まない彼女。 一緒に画像を検索したりして「こんな感じがいいかもね」と 、大まかなデザインを決めました。
そして、私の着物の余りギレとちりめんなどを材料に、オリジナルのデザインでメインの飾りを作り、あとは小花のUピンの飾りを準備しました。初めてのオリジナルのデザインです。

本格的に勉強したいという思いが募る。

その後も友人に頼まれて、ショールピンやブローチを作ったりしました。
私はすぐにのめり込む性格。本格的に勉強をしたい!と思い始めますが、鹿児島につまみ細工の教室はありません。
ネットで検索し東京の「一般社団法人つまみ細工協会」の存在を知り、 メールで通信教育はないか?と問い合わせました。
「今はその予定はないが、将来そういう事も考えている」「今はDVDがあるからそれを見て勉強して待って欲しい」との返事。そうしたやりとりが2年ほど続きました。その間に、摘み細工は花が基本だから、花をアレンジメントするスキルが必要と思い、 アレンジメントフラワーの個人レッスンを受け勉強しました。これも楽しかったことの一つです。

集中講座のため苦難に耐えて東京へ。

平成30年、ようやく基礎集中講座が行われることを知り、 すぐに申し込み、航空チケットを手配をしました。この日をどんなに待ち望んだ事でしょう。つまみ細工を始めて5年目のことでした。
飛行機に乗った瞬間のことは今でも覚えています。
「しまった、閉鎖的な空間だ・・・。大丈夫だろうか?」。空港までは長女と一緒でしたが、飛行機は別の便だったので、急激な不安に襲われました。その頃も鬱病の調子の波が大きく、職場をかわったばかりの頃でした。
ちょうど夏休みのお盆期間で、子供連れの客が多い・・・。鬱病の発症以来、子供の鳴き声・大声、閉鎖空間、急激な環境変化など、苦手なものは増えて行く一方でした。
でもなんとか無事に東京に着き、長女と合流し一緒に移動。しかし人混みも私にとって最難関でした。

憧れの専門店で待望の講座

東京での2日~4日目が3日間の「伝統工芸つまみ細工基礎集中講座」 でした。教室は私の憧れだった日本で唯一のつまみ専門店『摘み堂』。私にとっては聖地のような場所です。展示してある本物の古い花簪を初めて目にし、テンションMAXです。
講座が始まり、初めてのでんぷん糊の糊こね・糊引き・・・。何をやっても上手くできません。 自己流でやっていた分、変なクセばかりが出てしまい、先生から何度も手直しが入り、私の脳は疲労困憊でした。
でも、初めての一腰ちりめん(レーヨン)のふんわり感には本当に感動しました。田舎の手芸店で手に入るちりめんといったら厚手のものばかり。 ネットで羽二重を注文したことはありましたが、勿体無くてつまむことができませんでした。

月に2回日帰りで東京に通う充実した日々。

講座では作品を作るたびに布選び。優柔不断な私は色に迷いいつもビリでした。
講座が終了する時に思ったのが、糊を使った摘み細工はワークショップ向きではないということ。
私はそのまま9月に開講する「大雅オリジナルボンド製法」のベーシックコースに申し込みました。
月に2回、日帰りで東京を往復して、講座を受講する生活が始まりました。
ボンドの先生は「習作」だからと熱心な方。どちらかというと工作に近い感じでした。また男性の先生だからか、数学まで出てきました。
色に悩んでいいると「え?その色選ぶの~?」と言われたり。この時ほど色の勉強が必要だと感じたことはなかったです。

職人から貴重な手ほどきを受ける。

10月からは「伝統工芸の羽二重基礎講座」も並行して受講。 江戸摘み簪の職人から教えてもらえる講座です。
とてもお優しい先生で、笑いながら「あらあら」と言っては手直しをされます。
羽二重4匁の極薄布を摘むのは本当に大変。でも職人の技を垣間見れる瞬間は、なんとも言えない貴重な体験でした。
月に3~4回のペースで東京に通いました。
11月には環境未来館で開催された「家庭でできる草木染め教室」に参加。自分で身近なもので染めができるようになりました。
そして12月にとりあえず全ての基礎が終了。 ボンドの先生には特にいろいろ相談したように思います。
「色々な布で摘んでみなさい。素材には向き不向きがある。そしてアプリに出して周囲から評価を受けて勉強しなさい」とアドバイスを。でも私にはアプリで売る勇気なんてありませんでした。

大島紬と世の中のお母さんに伝えたいという思い。

その頃から地元の「大島紬」でつまみ細工をしたい・・・と、漠然と思うようになりました。職人の先生にも、紬だとどのくらい糊板に置けば良いのか?など教えてもらいました。
また自分が作ることよりも、私が子供達に髪飾りを作ってきたように、「世の中のお母さんたちが子供への思いを形にするお手伝いがしたい」と思うようにもなりました。 鹿児島では「大島紬」を切り売りしていたり、B反が手に入りやすい。地元のもので地元ならではのつまみ細工をしてみたい。そこで「大島紬フェスティバル」や「大島紬の展示会」に足を運んでは大島紬で作られている小物を見たり、織元さんに 「私、つまみ細工をしているんですけど」と話をして回りました。
講座受講が落ち着いた頃、勤労婦人センターでの「カラーコーディネート入門」を受講。ちょうど色合わせはとても大事な要素の一つで、カラーの勉強をしなきゃと思っていた時でした。これも楽しかったです。色彩検定も考えましたが、体調を崩し何度目かの入院も重なり、「基本だけで十分」と諦めました。

大島紬で成人式の髪飾りをという思いが。

そして平成31年の2月に、ある大島紬の催事に三女と出かけ、B反を見て回っていた時。ある織元さんから 「娘さん来年成人式なんですか?安い反物なら10万で振り袖作れますよ」と話しかけられました。
自分はつまみ細工をしている事、東京で勉強している事などを話しましたが、返ってきた言葉は「うちにもね、そうやって趣味でやっている人が持ち込んでくるんですけどね。素人さんの作る簪の組み上げは・・・」でした。
私は、「大島紬で振り袖作ればっていうけど・・。奄美大島では大島紬の振り袖で成人式するみたいだけど、どうして大島紬の髪飾りはないんだろう」という疑問が湧いてきました。
看護記録で、外出で催事に行った事を知った奄美大島出身の若い看護師さんから「白窪さん、大島紬見に言ったんですか?白窪さんとそんな話ができるなんて思わなかった」「私の祖母も織子をしてて、私が生まれた時に龍郷柄の振り袖を作ってくれていたんです」と話してくれました。
私は「龍郷柄」については全くもって無知。その後ネットで調べてスタンダードな人気のある柄であることを知ります。
それにしても祖母が孫のために反物を織る・・・なんて素敵な話なんだろうと 思いました。

初めてのオーダーに試行錯誤。

入院前、たまたま知り合った方から初めてのオーダーをいただいていました。謝恩会で着る袴に合わせた「つまみ細工での花冠」・・・できる気がしませんでした。
できれば向こうから断って欲しいな。花冠は生花の方が素敵に決まってるから。その期待むなしく「つまみ細工でお願いします」の返事。
メールで東京の先生に相談し 、手芸店を見て回り、ベースを決め、色は着物の入りに合わせてシフォンのリボン 。花はどの花を摘もうか・・。メインとサブの花を決め、東京からそれに合わせてちりめんを送ってもらいました。
入院中もつまみの道具を持ち込み、危険物が使用できる時間帯だけ詰め所から道具を受け取り、ひたすら摘み続けました。どうにか間に合い、初めて受け取ったお金。本当にそんな金額に見合う品物なのか・・・。やっぱり自信にはつながりません。
その後も入院中はつまみをしたり、カラーの勉強をしたりしていました。
伝統工芸の応用集中講座やボンドつまみのアドバンスの集中講座も開講されましたが、退院直後では子供達が許してくれるはずもないと諦めざるを得ませんでした。

大島紬の紬糸に魅了される。

その年の10月末に行った小さなマルシェで、大島紬の紬糸を使ったアクセサリーのお店を見つけました。そのディスプレイの紬糸に魅了されました。
翌日行ったアンティークマーケットで、たまたま飾られている大島紬糸を発見! 安価で購入しました。
タッセル作りも講座で勉強していたので紬糸タッセル作ろう!と思いました。
ネットでどんなに検索しても大島紬の紬糸が見つからず 、ヒットするのはふるさと納税の15000円の紬糸だけ。そんな大金は使えるはずもありません。
11月に例年開催されている「大島紬フェスティバル」の初日。平日で人が少ないこともあり、色々な織元さんへ声をかけました。
「お店の方へ来てくれるなら」と良い返事がもらえ、ワークショップをしていた織元さんに自分がつまみ細工をしている事を話し 、興味を持ってもらえ後日工場に行くことになりました。これが、私が大島紬でつまみ細工を始めるきっかけになります。

大島紬で成人式の髪飾りを!と広がる夢。

織元さんの所で、余った紬糸をたくさん分けていただきました。
また「つまみ細工」に興味を持ってくださり、私の作品を見てみたいというので 、講座で作った簪類を持参しました。
つまみ細工は小さな小さな布の世界。たくさんの布よりも、少ない量でもたくさんの種類が欲しいのです。
「京都では西陣織りや丹後ちりめんなどの髪飾りなどで成人式を祝う。鹿児島には大島紬があり、奄美大島の多くの新成人が大島紬の振袖を着る。その時に同じ大島紬で髪飾りをつけたらもっと素敵なのに」
「大島紬の着物を作った時に、お余ギレの共布で髪飾りや和装小物を一緒に作れば粋なのに」
「大島紬でトータルコーディネートしたらどんなに素敵でしょう!」
小さな布の世界だからこそできること。
私はもっとそうやって、楽しめるようなお手伝いをしたいんです、と力説しまくりました。

三女の髪飾りと作家活動のスタート。

たくさんの紬糸や、いただいたり購入した大島紬のハギレが手元に集まりました。
三女の成人式にはお金がなくて、お姉ちゃんたちの時のように小物を新調してあげられない。でも、つまみ細工のスキルは格段に上がっている。
お姉ちゃんたちの時とは違って、正絹で綺麗な髪飾りを作ってあげよう 。丹後ちりめんを購入し、それは小物用に羽二重を購入し髪飾り用にするはずでした。
でも手元にある綺麗な色とりどりの大島紬を見たら、せっかくならこの地元のもので髪飾りを作ってあげよう。三女の成人式の髪飾りは大島紬の生地と紬糸を使って作ることにしました。
三女はシャープなイメージの段菊の飾りを希望。 大島紬のイメージにもピッタリです。
そんな頃、つまみ細工に興味を持った織元さんから催事の話を持ちかけられました。 最初はワークショップの予定が、それは無理があったようで、 作品を買い取りたいから作って欲しいとオーダーが入りました。
急に作家としての活動を始めることになりました。

大島紬と江戸つまみ細工を繋いで後世に伝えたい。

私の作家活動の根底にあるのは・・・。織子のおばあちゃんが孫のために反物を織り、振り袖を作ったように。
私が大切なわが子のために成人式の髪飾りを作ったように。
「大切な人への思いを形にするお手伝いがしたい」ということ。
そして自分でおこがましい限りですが、地元鹿児島の伝統工芸品である「大島紬」を、東京の伝統工芸品である「江戸つまみ簪」の技術に、私なりの形で後世に繋いでいけたら・・こんな素敵なことはないと思っています。
娘たちの「お母さんは今まで人のために尽くして生きて来た人生だったから、今度はお母さんの好きな事をして生きなさい」と後押ししてもらいました。
そして、大島紬専門つまみ細工「きとりや」は誕生いたしました。
屋号の「きとりや」は大切なわが子4人の一文字ずつをもらっています。
大島紬は「摘みにくい布」とよく言われます。ハリがあり紬なので厚みも様々だからでしょうか。私には明確な理由はわかりません。
確かに三女の髪飾りには苦戦しましたが 、布と対話するように、その布の特徴を感じ、 ゆっくりと時間をかければ、あまり難しいことではないように私は感じています。

使えなくなった布や糸に輝きを持たせたい。

大島紬の織子の方は高齢の大先輩ばかり。そんな方々が織った貴重な布を摘める喜び。大切に大切にカットした後の小さな歯切れも集めてまた別の作品に。そうやって大切につまみ細工の作品を作っています。
和装をしなくなったこの時代に合った和洋装の小物作り 。また形見にもらったけど、着ることができずタンスにしまいっぱなしの着物を、手放すには惜しいので別な形でそばにおいておけたら・・・。着物一つ一つにも色々なストーリがあり、その想いを形にするお手伝いもできればと思っています。
織元さんはそれぞれが得意とした生地を作れられています。その生地を交渉して地元で直接交渉し入手することができるので、いろいろな種類の生地がれに入りやすい。
みなさんが持っている「大島紬」=「泥大島」で暗い色のイメージではありません。 機械織りや染めの技術も進み、染色によってはポップな色合いのものもたくさんあります。
また新品のハギレが安価で購入できます。東京の講座に行くと 「大島なんて古布でしか手に入らないのに羨ましい」と言われます。
私の作る大島紬の作品は基本、新品のものです。小さな布の世界だからこそ、切り売りやあまりぎれ、ハギレで十分なんです。
だから織元さんが余った布や使えなくなった紬糸のリサイクルができる。何十もの工程を経てできた、布や糸を眠らせるのではなく、輝きを持たせてあげたいと思っています。

私にとっての布のイメージ。

布にはその特徴があって、それを使い分けて 作品づくりをすれば良いと私は思います。私にとっての布たちのイメージは ・・・。
「ちりめん」は「優しい・可愛らしい」感じでしょうか。
安価なレーヨンのちりめんは私も使いますが「水に弱い」。
「羽二重」は、江戸つまみ簪で使う4匁は「薄くて粋な」感じしょうか。
京都の方で使われる6匁や10匁は「ぽってりと可愛らしい」感じでしょうか。
「大島紬」は高級品ということもあり、絣なので割と厚手で「凛とした力強い」でしょうか。
これはあくまで私の持つイメージなので
感じ方は人それぞれです。
「羽二重」「丹後ちりめん」「大島紬」など 、正絹は水に強いので、小物も雨をあまり気にせず使えるのが利点です。
ただ、私はこの「大島紬の高級感」というものがあまり好きではありません。 「大島紬だからお高いんでしょ?」そう言われます。
もちろんそういう路線でお商売なさっている人もいるでしょう。でも和装しなくなった時代「高級志向」だけではその価値あるものも廃れてしまうばかりだと思っています。
もっと身近に手に入りやすい値段で 「大島紬の魅力・素晴らしさ」を私らしくらしく発信できたらいいな、と思っています。

どんどん広がる夢・・・私は幸せです。

伝統つまみ細工の技法で作った商品は、
いつの時代も親から子へ子から孫へ、
歳を重ねても幾つになっても使えるような 、そんなデザインでお作りしたいと思います。
「ボンドつまみ細工」では、日常使いしやすいもの、若い人でもポップで可愛らしいと思えるものを作っていけたら、と思っています。
それと並行してやりたいこと・・・思い出の着物を着ないから、「別な形に残しておきたい」という想いを形にすること。でも着物1枚から取れる布は一反の紬に胴裏や八掛まで大量の布になります。
古布リメイク、よくあるのがバッグや洋服・クッションカバーが代表的なものでしょうか。 でもそれって「the大島紬」といったデザインばかり。私は残念ながら「着てみたい」と思えるデザインにまだ出会っていません。
さて、ではその大量な一枚の着物からできる布をどうすれば有効に形に残せるか。私なりに考えてみました。
つまみ細工の小物は少量の布で出来上がってしまいます。だから私は布を反物で購入することはありません。
着物地をキャンバスに「つまみ絵」を作ってみたい・・・。 本当にできるかどうかわかりません。そのスキルが私にあるのかもわかりません。でもこれから試行錯誤しながら取り組んでいきたい課題になりました。
一から勉強です。でもそれが私の「ワクワク」でもあります 。こんな貴重な経験をさせてもらっている私は本当に幸せ者だなと思います。